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ライフコースの認知的基盤

 

 

ライフコースの認知的基盤〜人間のポテンシャルを育む新しいパラダイムへ

 

私が学生時代に手に取った一冊の本が、その後の私の職業的人生を決めたと言っても過言ではありませんでした。それは、昭和36年に法務省から出版された、グリュック夫妻の著作『少年非行の解明』です。

 

この研究は、発刊当時から数十年を経てなお、若い私には驚きの内容でした。500人の非行少年と500人の対照群の少年たちの人生を、実に70歳になるまで追跡するという壮大な研究(引き継がれて)。そして、そこから導き出された結論は、極めて明快でした。


子どもの将来の非行は、貧困や地域環境といった外的要因以上に、幼少期の家庭環境、とりわけ親子関係によって6歳という早期に高い精度で予測可能である、というものでした。

 

この科学的知見は、衝撃でした。これほど早期にリスクが把握できるのであれば、的確な介入によって、その子の人生の軌道を良い方向へ修正できるはずだ。グリュック夫妻がしめす、学校不適応も非行の原因のひとつであるというなら、教育で支えることができるのでは。というこの純粋な思いが、私を法務省の矯正という仕事へと導きました。グリュック夫妻が示した研究成果を、社会内処遇や施設内処遇といったシステムの中で、対象者の改善更生に繋げていくことを仕事にしたいと思ったのです。法務省から発刊されていることもあって、憧れて法務省の門を叩かせていただきました。

 

しかし現実の社会では、私の理想に厳しい問いを投げかけました。グリュック夫妻の予測表は、子どもたちを救うための「早期介入のツール」であると同時に、対象者を管理し、選別するための「ラベリングの道具」へと容易に変質しうる危険性を内包していたのです。「この少年は、将来非行に陥る可能性が高い」という評価が、必ずしもその子の家庭環境への効果的な支援に繋がるとは限りませんでした。


むしろ、特別な眼差しを向けさせ、社会との間に見えない障壁を築いてしまうことになりかねない。私は、グリュック夫妻の研究成果を社会で生かすことの難しさを、日々の業務の中で間接的ですが痛感していました。最高のツールがありながら、それを生かせないという現実がありました。

 

そうした葛藤の中にいた私に、新たな方向を示してくれたのが、サンプソンとラウブによる『犯罪の生成―人生を通じた経路と転機』という研究です。彼らは、ハーバード大学の書庫に眠っていたグリュック夫妻のオリジナルデータを再分析し、「人の犯罪キャリアは、生涯を通じてどのように変化するのか」という新たな問いを立てました。


彼らが提唱した「年齢段階別非公式的社会統制理論」は、私の思考に新たな地平を拓きました。人生には「転機(ターニングポイント)」が存在し、良い結婚や安定した就労といった出来事が、人を犯罪から離脱させる力を持つというのです。人の運命は固定されたものではなく、変わりうるのだという実証的な視点は、現場に身を置く者にとって大きな希望となりました。

 

しかし、現場での経験は、すぐにまた次の問いを私に突きつけました。「なぜ、同様の『転機』が与えられても、それを生かせる者と、生かせない者がいるのか」「なぜ再犯に至るのか」。理論上、それは個人の「人間的エージェンシー(主体性)」として説明されていましたが、私にはその言葉が、解明すべき本質を覆い隠すための「ブラックボックス」のように思えてなりませんでした。ある者はなぜ主体性を発揮でき、ある者はなぜできないのか。そのメカニズムの根源にあるものは一体何なのか。

 

その答えの糸口は、全く予期せぬ分野から見出されました。EBP(科学的根拠に基づく実践)を指針とし、認知行動療法などを処遇に取り入れる実践を重ねる中で、やはり「学習障害・発達障害」という概念を避けて通れないことを再確認しました。従来の認知行動療法だけでは、限界も現場ではあったからです。処遇のエビデンスはRCTなどの実験が集団ベースになって作られているので、どうしてもプログラムの対象に合わない子供たちがいたのです。その子供達にもあうやり方はないかと解を求めていきました。


そして、その知見を深めるうち、脳科学や認知科学・神経生物学の世界にこそ、長年の問いの鍵が隠されていることに気づきました。私の中でバラバラだった知識の点と点が、一本の線として繋がった瞬間でした。

 

「そもそも、社会と適切に関わるための基盤となる、脳の認知機能(OS/オペレーション・システム)自体に偏りや不具合があれば、社会的な資本を蓄積することも、人生の転機を主体的に生かすことも困難なのではないか」

 

これが、私のたどり着いた仮説です。あえて「認知基盤仮説」と言ってもいいかもしれません。

 

例えば、視覚認知システムに困難があれば、文字の読み書きや、人の表情から感情を読み取ることが難しくなります。その結果、幼少期から「勉強ができない」「空気が読めない」という評価を受け、他者との良好な関係、すなわちソーシャル・キャピタル(社会的資本)を築く上での「初期投資」に失敗してしまいます。この状態で成人し、就労という「転機」が与えられても、面接で相手の意図を汲み取れなかったり、職場のマニュアルを正確に理解できなかったりして、その機会を生かすことができないのです。特に、コミニュケーション上の問題は、単なる言語の解釈の問題だけではなく、視覚認知レベルからの問題ではないかという仮説から特許技術に繋がっていきました。

 

サンプソンらが論じた「社会的絆」や「ソーシャル・キャピタル」は、健全な認知機能という土台があって初めて、その上に安定して築き上げられるものだったのです。私は、彼らが構築した偉大な理論の、これまで見過ごされてきた「土台の脆弱性」という問題を現場で当時発見したのだと確信しました。

 

その瞬間、私が進むべき道が明確に定まりました。それは、この根本原因に直接アプローチし、「認知のOSを安定させる」ための技術を開発・確立し、実践していくことです。

 

私たちが取り組むべきは、非行や犯罪という目に見える「問題行動」の改善に留まりません。その根源にある、世界をどのように感じ、理解するかという「認知のエンジン」そのものに働きかけることです。サンプソンらが示してくれた、人生の軌道を変えるための「地図」は、極めて正しい。しかし私たちは、その地図の上をうまく進めない人々の「認知のエンジン」を調整するための、新たな視点と体系的なアプローチを持つ必要があります。これが薫化舎の現在の認知リフレーミング®技術の考え方の基本となっています。

 

また、私たちは転機が訪れるのをただ待つのではありません。認知機能(認知システム)の基盤を安定させることで、対象者本人が自ら社会との絆を再構築し、ソーシャル・キャピタルを蓄積し、転機を能動的に「創り出す」ことができるよう支援します。これが、ライフコースケア®というサービスに結びついていったのです。

 

グリュック夫妻が、「処遇法のない診断」という、ある意味で悲しい予言を世に問うてから一世紀近くが経とうとしています。私は、彼らが始めた壮大な探求の、最後のピースを埋めるという使命を、この仕事を通じて果たしていく所存です。それは、一人ひとりの対象者の人生を、その最も深いレベルから変容させていく、静かではありますが、確かなブレークスルーになると信じています。